日本の教育は、とてつもなく不平等で、とんでもなく非効率的なことを知っていますか?
日本の教育方法は、ワザとじゃないかと思えるほどに「才能」を捨てる形となっている。
その元凶は「学年」という縛りだ。
子供は、無条件で誕生日ごとに「学年」というカテゴリーに分けられ、そのグループでの競争を余儀なくされる。
単純に考えて、4月生まれと3月生まれでは約1年の「成長の差」があるにもかかわらず、同じ土俵で競わなければならない。
また、そういった「実年齢」だけでなく、個体別の成長スピードの差も無視されている。
人間には、「早熟の子」と「晩熟の子」がいることは分かっているのに、まったく考慮されないままに一緒くたにされて教育される。
この方法によって、間違いなく失われている才能がある。
本当は才能があるのに、才能に気付かれず、才能がないとされる。
逆に大した才能はないのに、勘違いされ、才能があると刷り込まれる。
こんな不幸なことがあらゆる場面で起こっている。
海外では、育成年代では「生物学的年齢」を重要視し、グループ分けを考慮する「バイオ・バンディング」という考え方が広がってきた。
子供たちがすくすくと才能を伸ばすために、
大人はもっと学ぶべきだ。
バイオ・バンディング
バイオ・バンディングとは、「育成年代において、実年齢ではなく生物学的年齢でグループを分けること」だ。
これによって早熟の子と晩熟(遅咲き)の子が同じグループになることを防ぐ。
バース大学の研究者で、サッカーのイングランドプレミアリーグへの導入にも関与したショーン・カミング博士は、
同じ14歳でも、早熟の選手は16歳と同等の身体能力を有している。一方で成長が遅い選手は、身体能力が12歳と変わらない。そうなれば同じ14歳のグループに最大で4年間の身体能力的なギャップが生まれてしまう。そのように考えると、同じグループで競い合わせるのは難しい。
と説明している。
最大で2年の成長差が両方にあるから、最悪4年の成長差が生じてしまうというものだ。
また、これはあくまで同じ年の子を比べた場合なので、ここに4月生まれと3月生まれ理論を加えと、最大で5年の差が生じてしまうことになる。
早熟の4月生まれの子と、
晩熟の3月生まれの子では、
生物学的年齢に約5年の差が生まれる可能性があるのだ。
これは、小学校6年生と高校2年生が同じカテゴリーで比べられることと同じことだ。
こんな不幸でバカなことが日本では実際に起こっているのだ。
このような中、ヨーロッパのサッカーの育成では、遅咲きの才能を見逃さないことが重要視されていて、例えば、
足が遅い、太っている、ロングボールが蹴れない(筋力が足らない)など、フィジカルに起因するプレーの遅れに縛られずに評価するように変わってきた。
2018年のロシアワールドカップで準優勝したベルギー代表は、まさにこういった育成から生まれた選手たちが中心選手として活躍した。
サッカーを例にバイオ・バンディングについて説明したが、これは単純に考えて当たり前のことだ。
いくら「足が速い」という才能を持って生まれてきても、小学校6年生は高校2年生にはかなわない。
たまたま成長が遅いばっかりに、その「足が速い」という才能は見落とされ、闇に葬られていく。
本人すらその才能に気付かないままになってしまう。
日本には、そういった子供たちが間違いなく存在するのだ。
生物学的年齢の見極め方
では、そうすればいいのか?
「実年齢」ではなく「生物学的年齢」を重視すると言っても、どうやって「生物学的年齢」を判別すればいいのか?ということが課題となる。
ここについても、欧米の研究が一定のレベルに達してきた。
骨年齢や、親の身長から割り出す最終身長方式など、様々な方法で「生物学的年齢」を判別しているとのことだ。
イングランドでは、サッカーだけでなく、テニスなどの様々なスポーツでもバイオ・バンディング方式が取り入れられている。
オランダやドイツ、ベルギーなどは元々そういったことに積極的な国だ。
当たり前だけど、この考え方は、スポーツだけの話ではない。
フィジカル的な差が激しいため、スポーツが分かりやすいけど、勉強にしても遊びにしても人付き合いにしても同じ。
すべてのできごとにおいて、育成年代は成長スピードに差があって、それを考慮するべきなのだ。
その子の成長が一定固まる最終形態を100としたときに、
いま何パーセントに達しているか?というのが大事なのだ。
まずは変に比べないこと
ここまでバイオ・バンディングの必要性について書いてきた。
ただ、日本はまだまだだろう。
こういったことには特に腰が重いのが日本だ。
まだまだ「学年縛り」にこだわり続けることだろう。
本当にもったいないし、ダメな教育方法だと思うけど、それでもすぐには変わらないだろう。
だから、とりあえず一人一人ができることをやろう。
「変に」同学年の子と比べないことが大切だ。
「人は人、自分は自分、他人と比べたらダメ。」ということを言いたいわけではない。
人にはどうしても競争がついて回る。
誰かと比べられて、誰かと勝負して、そうやって伸びていく。
競争、勝負は成長するために必要なことだ。
でも、「変に」比べてはならない。
ただ単に学年が同じということで同学年の子と比べることは最悪だ。
比べる相手を個別に選ぶのだ。
自分の子供は早熟なのか、晩熟なのか。
まずはそんなことを考えてみよう。
早熟だとすれば、上の学年の子供と比べる、
晩熟だとすれば、下の学年の子供と比べる。
親がそれを意識するのだ。
早熟か晩熟かを判断するのは簡単だ。
思春期、成長期が早く来ているかどうかを考えればいい。
身長の急激な伸び、声変わり、色んな場所への毛、
それが平均と比べて早いのか、遅いのか、
今はどの程度なのか、それを観察すればいいだけだ。
子供の才能を見落とさないために、
大人がまずするべきは「学年」で一括りにすることをやめることなのだ。
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