こんにちは。
久しぶりにブログの運営について書こうと思います。
ワタクシ、1年と半年ほど前にブログを始めまして、ここまで324記事を書いてまいりました。
始めは当たり前に全く読まれなくて、凹んで悩んで、また凹むの毎日でございました。
徐々に読んでくれる人が増えていったときは嬉しかったなあ、楽しかったなあ。
そんなこんなで読者の皆様に支えられて今でもなんとか続けています。
いつも本当にありがとうございます。
ということで、前置きはこれくらいにして、本題に入ります。
自信作なのに読まれない現象
実は、ずっとある違和感を持ちながらブログを書いてきました。
「なんでだよ。」
「なんでだよー!」
藤原竜也的な違和感をずっと感じてました。
それは、自分と世間の評価のズレ。
理由は分からないけど、自信作の記事に限って人気が出ない現象。
自分的に「いい文章」が書けたと思ったときは、いつも世間の評価が低かった。
そんな世間とのズレを違和感としてずっと感じていた。
自信のない記事 → ダメだろうなあ → 人気出ない → やっぱり
自信のない記事 → ダメだろうなあ → 人気出る → 恥ずかし嬉し
自信のない記事はこのどちらかの現象となります。
多くは人気がでないけど、たまーに予想に反して人気が出ることもあります。
でも、自信がある記事の動きは一択なのです。
自信のある記事 → キタ!! → 人気出ない → ・・・チーン
全部コレ。
めっちゃ自信あるのにまったく人気がない。
なんなら、ぜんぜん読まれない。
なんなんだと。
これはなんなんだと。
ワタクシ、そんな違和感を抱えながらずっとブログを書いてきたのです。
自信作が世間でも認められるようになった
先週アップしたこの記事。
ワタクシゴトではありますが、この記事は自信作でした。
「あ、これいいわ。」「やったったわ。」と、自分的には満足の文章。
例の法則でいうと、ダメなやつ。
自信はあるけど、人気は出ないやつ。
の、はずだった。
けど、この記事は違った。
人気が出た。
たくさん読まれた。
多くの人が読んでくれた。
実はこの記事だけではない。
ここ数か月、自信作と人気がリンクする事例が多かった。
「自分が満足している文章」 ≠ 「世間で認められる」
だったのが、
「自分が満足している文章」 = 「世間で認められる。」
自分と世間の感覚が、「≠」から「=」に変わってきたのだ。
いいことなのか?
たぶん、何かが分かってきたのだ。
「どんな文章が世間からウケルノカ」が分かってきたのだ。
だから、無意識にそっちに文章を寄せているのかもしれない。
これはいいことなのだろうかと。
自分の書きたいことを書くと決めているブログで、「世間のウケ」に寄せていくことがいいことなのか、悪いことなのか。
もちろん、寄せているつもりはサラサラないけど、結果を見れば寄せてるっぽい。
寄せてるっつうか、寄ってるっぽい。
コレどうなんだと。
自信作が伸びないことに違和感を感じてきたワタクシですが、
自信作が伸びることに悩んでるナウなのです。
【ブログ運営】今が一番いい状態
そんな悩みを抱える中二なオッサンのワタクシですが、ただ一つ間違いなく言えることがあります。
ブログ運営は今が一番いい状態だ。
- ブログを始めたばっかりで右も左も分からずに「ただ書いていた」ときも良かった。
- 毎日更新に「命をかけていた」あのときも楽しかった。
- なんとかPVを伸ばそうと「あの手この手を考えていた」ときも熱かった。
- 「収益が出だしたとき」は嬉しかった。
今はまったく燃えていない。
あの手この手なんて考えてない。
収益に一喜一憂もしない。
てか、そもそも週に1記事程度しか更新していない。
今は100%の自然体で書いている。
完全に自然な素の自分で書いている。
書きたいときに書く。
書きたくないときは書かない。
そんな自由もある。
だから、今が一番メンタル的にいい。
ブログを運営してきて今が一番いい状態だ。
積み上げてきたことのおかげ
これは積み上げてきたからこそだと思う。
- 自然体でも「いい文章」が書けるようになった。
- あの手この手を考えなくても、一定のテクニックは無意識に出るようになった。
- 一定数のPVと、一定額の収益は安定している。
これらの今まで積み上げてきたものが、今の自然な自分を支えている。
経験値と成果物が「いい状態」だと言わせてくれる。
まだまだ弱小ブログだし、
「いい文章が書けるようになった?はあ?どこが?」って思う人もいるだろう。
このジコマンヤローがと、イラついた人もいるでしょう。
でも、いいんです。
ワタクシ、イマ、イイジョウタイなのです。
とにかく積み上げること
自信作が伸びるようになったことも同じなのだろう。
積み上げがなにかの力を与えてくれているのだ。
すごいよな、人間って。
なにかを続ければ、絶対になにかが積み上がる。
なにかを積み上げれば、絶対になにかが得られる。
絶対だ。絶対になのだ。
なにかを続ければ、「絶対に」なにかが得られるのだ。
このブログを続けたことによって得られたものは、物理的には小さい。
でも、自分でも気づいていない「何か分からないもの」が自分に身についたような気がしている。
学生時代の苦しい部活。
あの日々で培ったのは、サッカーやバレーボールの技術よりも、
折れない心と頑張りぬく意思だと思う。
それと一緒で、ブログもなにかの副産物を生んだのだ。
それがなにかは分からない。
それを言語化することはできない。
でも、絶対になにかが積み上がった。
間違いなく大きななにかを得た。
いつかそれは言語化できるようになるだろう。
「あのときのアレはコレ」ってちゃんと言葉にすることができるようになるはずだ。
もっと成長すればイマのコレがアレだって気づくはずだ。
積み上げるのだ。
とにかく積み上げるのだ。
金とか金とか金とか・・・
そんなショボイもののために積み上げるのではない。
言葉にできないなにかを得るために。
自分でも気づかないような、ナチュラルな能力を伸ばすために。
みんな、積み上げ大事だお!!!