お久しぶりでございます。
長らくブログをさぼってしまいました。
なにやってんだと。
お前、なにやってんだよと。
こんな自粛の毎日なのに。
お前のブログがないなんて。
もうどうすりゃいいんだよ。
毎日どうやって過ごせばいいんだよ。
時間はいっぱいあるのに。
退屈なのに。
お前の新しい記事が読めないなんて。
こんな最悪なことがあるか?
悪夢だよ。まったく。
頼むよ。
書いてくれよ。
暗い時代だけど、お前の情熱で光を感じさせてくれよ。
頼むからブログを更新してくれよ。
早く書いてくれよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ワタシのブログ更新を待望する民衆の響き渡る声。
そうだよな。そりゃそうなるよな。
分かってる。分かってるよ。
こんなことは容易に想像できた。
みんなの声は簡単に想像できた。
ほんとごめんな。みんな。
ほんとにごめんな。
※注
民衆の声は、筆者の主観であって、事実とは異なる場合があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・
いや、まあ、アレだよ、アレ。
有名なあれ。
「ブログなんてやってられるか。」的なアレじゃなくて、「書きてえ!でも書けねえ!(忙しくて)」的なアレ。
「とはいえ」
確かに忙しかった。
とはいえ、まったく時間がなかったわけではない。
(毎日24時間忙しかったわけではないからね。)
割と忙しい毎日なんだけど、とはいえ。
とはいえ、書けないことはなかった。
書こうと思えば書けたはず。
そう、ワタシはあの状態に陥っていたのです。
ちょー有名なあの状態。
老若男女、誰でも陥る恐れがあるあの状態。
「とはいえ状態」に陥っていた。
え?
「とはいえ状態」を知らない?
そんな人は、「とはいえ状態」でググってみてくれ。
なんも出てこないから・・・
・・・・・・・・・・・・・・・。
ブログは自粛する必要なんてないのにな・・・
勝手に自粛ってか、さぼってしまったよ。
ずっとずっと気にはなってたんだ。
「書きたくない」なんて気持ちは微塵もなかった。
「書きたい」ってずっと思ってた。
今日からまた書くよ。
毎日書けるかどうかは約束できないけど、でも書くよ。
まだまだ忙しい日々は続きそうだ。
とはいえ、俺はやる。
忙しい「とはいえ」、やろうと思えばできたじゃなくて、忙しい「とはいえ」、やった。
こんな「とはいえ状態」になろうと思う。
まあ、とはいえ、それが凄く難しかったりするんだけど。
でも、とはいえ、やるよ。
とはいえ、書くよ。
とはいえ、毎日はちょっと厳しいかもしれないけど。
とはいえ、頑張るよ。
とはいえ、どうしても書けない日があるかもしれない。
とはいえ、絶対に書けない日なんてないはずだ。
とはいえ、遊びたい日もある。
とはいえ、ブログを書くのも楽しいから。
とはいえ、酒に溺れたい夜もあったりする。
とはいえ、ブログを書いた後に飲めばいいだろ。
とはいえ、夕日に向かって走りたい日もある。
あっ、いや、ないわそんな日は。
(なんやねん!!)
とはいえ。
とはいえ。
とはいえ。
今まで人生について熱く語ったりしてきた。
人生ってさ、何か熱中できるものとか、大切にしたいこととか、そんなことを探し続ける旅だと思うんだ。
旅って道中が楽しいもんだ。
目的地に着いてからも楽しいけど、でも、やっぱ目的地を目指している移動中が楽しかったりするもんだ。
なんなら計画中から既に楽しい。
どんな所だろうねー?
どこに泊まろうかー?
絶対にあれは食べよう。
次、右だって右。あれ?
いや、左だったじゃん。
ぎゃはははは。
こんな会話は旅の醍醐味だ。
人生もきっと同じだ。
夢中にできるなにか。
大切にしたいなにか。
そんなことを探し続けて燃えているとき、それが人生の中で最高の時間なのかもしれない。
もっと人生を楽しみたくて。
足掻いて、もがいて、苦しんで、でも燃えて、楽しんで。
そんな時間が至福のときなのかもしれない。
道を間違ってもいいんだ。
それが旅の醍醐味ってもんだ。
人生は「とはいえ」の連続だ。
とはいえ、そんなことできないから。
とはいえ、やろうと思えばできるから。
こんな選択の連続だ。
ブログが書きたいとはいえ、忙しいから書けない。
忙しいとはいえ、ブログを書く時間は作れる。
どっちのメンタルになるかによって大きな差が生まれる。
小っちゃな小っちゃなメンタルの差だけど、
簡単で単純な心の持ちようの差なんだけど、
それが大きな大きな差になる。
あっ。
俺が言いたいのは、生涯年収とか、稼げる金に差が生まれるって話じゃないぜ?
なんかこういう話をすると、すぐに年収ガーって、金に換算する人が多いけど、(まあ、それはそれで分かりやすくていいんだけど)俺はそんな話はしないし、そんな話が好きじゃない。
だから、ここで言ってる「大きな差」とは、金のことじゃない。
「とはいえ。」の考え方で変わる大きな差とは、人生がどれだけ楽しくなるか。
人生の楽しさの量と質の差だ。
心の持ちようで「楽しみレベル」にでっかい差が生まれると思うんだ。
「とはいえ」やるのか?
「とはいえ」やらないのか?
人生を楽しみたいのなら、「とはいえ」やるべきだ。
なあ、みんな。
「とはいえ」できるんだ!
やってやろう。
「とはいえ」やろう。
俺も40になったよ。
なっちゃったよ。
とはいえ、まだ成長できるし、人生はまだまだこれからだ。
いっぱい夢がある。とはいえ、40になってしまった。とはいえ、まだまだこれからなのだ。
「とはいえ」をポジティブに使おう。
「とはいえ状態」=「ポジティブな感情」にするのだ。
- とはいえ、できないよなあ。
- とはいえ、難しいよなあ。
- とはいえ、あいつがさあ。
- とはいえ、俺なんかじゃ。
- とはいえ、あの人とは違うから。
こんな「とはいえ」とはバラサオしよう!
こんなネガティブな「とはいえ」とはバラサオするのだ。
ん?バラサオ???
あ、いや。
オサラバするのだ!って書こうと思ったんだけどさ、
「オサラバ」ってなんか昭和臭がしたから・・・
反対にしてみただけ。特に意味はない。
って、余計にダサくなった気もしないでもないが、
とにかく!!
とはいえ、やる!!
とはいえ、できる!
今日からまた頑張ります!
人生は旅。
人生はパッション!!!
情熱全開!!!!
とはいえ、弱っちゃうこともあるんだよなあ。
ちょっと疲れちゃうこともあるんだよなあ。
そういうときは、そんな自分を受け入れよう。
弱い自分を受け入れよう。
ゆっくり、ゆっくり進んでいこう。
とはいえ、復活のときは絶対にくるから。