2020年、年が明けて1ヶ月半。
4月から3月の「年度」で言うと、今年度も終わりが近づいてきた。
この時期になると気になるのが人事。
来年度の自分はどうなるのか?ってことだ。
担当する仕事だったり、部署だったり、役職だったり、
なにかが変わるのか、変わらないのか。
そんなことがどうしても気になりだす。
自分はこれを突破したい。
というか、こんなこと気にならない人間になりたい。
だって、どうでもいいから。
人事によって仕事が楽になったり、忙しくなったり、給料が上がったり下がったり、
色々とあるけどさ、でも、クビにでもならない限り生活には大きな影響はないし、自分の生き様には関係ない話。
どんな人事をされたって、自分は自分らしく生きるだけだし、どんな仕事になったって熱く働くだけ。
だから本質的には会社の人事なんてどうでもいい。
出世が早かろうが、遅かろうが、楽しければいいし、幸せならいいし、熱く毎日過ごせているのならそれでいい。
これは決して、「出世なんてどうでもいいし~。」
っていう逃げではなくて、サラリーマンをやるからには、そりゃ出世はしたいし、給料も上がった方がいいけど、自分の力でどうしようもないことを気にしても意味がないって話だ。
仕事はしっかりとやるし、結果も出す。
なんだかんだ1日8時間以上の長い時間を使うのだから、「仕事なんてどうでもいい。」って開き直ることはしたくない。
でも、出世するとかしないとかは他人が決めるわけだし、自分にできることは結果を出すってことしかなくて、自分の力でどうにもならないことに一喜一憂するのは時間と心がもったいないなと。
俺はこんなにやってるのに。
アイツより俺の方がデキルのに。
そんなことを思うのは醜いなと。
そんな風に思うのである、
だから、やることやって、燃えるとこ燃えて、楽しむとこ楽しんで、
あとは気にし~ないっと、
っていう感じでいたいのだ。
そもそもなぜこんなくだらないことが気になるのか?
それは見栄と承認欲求だろう。
「凄いと思われたい欲」と「認められたい欲」。
そんな醜い欲があるから気になるのだろう。
そして、その欲は強ければ強いほど、「狭い」世界で生きているということだと思う。
世界は広いのに。
知らないことだらけなのに。
ワクワクすることがいっぱいあるのに。
それなのに「狭い」自分の領域にこだわっているから、そんな欲が湧くのだ。
自分が知っている範囲なんてチョー狭いのに、この中で「デキル」とか「デキナイ」とか、「勝った」とか「負けた」とか、「敵」とか「味方」とか。
そんな小っちゃなことを気にするのは嫌なのだ。
そんな窮屈な人生は嫌なのだ!
もっと広い視野で、広い世界で、いっぱい楽しんでれば、会社ごときの人事なんて気にならないはずだ。
そんなくだらないことを気にする暇があるなら、もっとワクワクすることをする方が絶対にいいから。
くだらない欲に負けてたまるか。
狭い世界から抜け出すのだ。
他人に分かってもらおうなんて考えるな。
誰かに認めてもらおうなんて考えるな。
自分がどうありたいか。
自分がどう生きていくか。
自分はイマ楽しいのか。
それだけに集中するのだ。
組織に対して反抗するわけじゃない。
組織に対して期待しないわけでもない。
なにかにバグれるわけでもない。
でも、組織からの評価は気にしない。
他人にどう思われるかなんて気にする暇はない。
誰がどんな評価をしようとも、
誰にどんなことを思われようとも、
俺は俺なのだ。
どんなに高い評価を受けたとしても、
まったく評価されなかったとしても、
なにも変わらない。
なにも変わらないのだ。
もっと自由に。
もっと熱く。
意識するのはそれだけでいい。