皆さん、何歳になりましたか?
てか、このブログって何歳くらいの人が見てくれているのだろう。
自分は先月40歳になった。
40歳・・・いわゆる「初老」だ。
辞書にはこんな風に書かれている。
老人の域に入りかけた年頃。
どうやらオッサンとか、オヤジとか、中年とかってレベルじゃないらしい。
まったく「いい年」になったもんだ。
でも、そんな初老の自分だけど、
今でも上司に反抗したり、他部署に対して強引に物事を進めるように促したり。
そんなことがよくある。
(なかなか大人になれない。。。w)
ただ、それでも、
「昔に比べると丸くなったな」と。
「20代の頃は、もっともっとイケイケ(死語?w)だったな」と。
そんな風に思う今日この頃だ。
皆さんはどうですか?
「昔と比べて丸くなったな」と思うことってありますか?
よく言われる「丸くなる」ってどういうことなのだろう?
丸くなることはダメなことなのだろうか?
本田圭佑は丸くなった?
サッカーの本田圭佑選手。
ベテランとなり、フィジカル的には若い頃と比べると明らかに落ちた。
みんなご存知のように本田圭佑と言えば、「ギラギラ感」が売りで、
「俺が何とかしてやるから。」
っていうプレーをし続けてきた選手だ。
21歳でオランダリーグに移籍したとき、
「とにかく成り上がるために個人の活躍を。」と、
「チームの勝利」よりも「自分のゴール」を優先するプレーをしていたと言えば大袈裟かもしれないが、
まずは自分のゴール、その先にチームの勝利。
そんな感じだったと思う。
今33歳になった本田はプレースタイルを変えた。
「チームの勝利のために潤滑油となる。」
そんなことを公言するようになった。
「自分のゴールの数は意識しません」と。
そんな本田に対して、先日行われた試合後に記者がこんな質問をした。
「昔と比べて丸くなったということですか?」
本田は目をギラっと見開いて答えた。
「それは僕の人生、生き方を見て判断してください。」
サッカー選手としては円熟期を迎え、個人よりチームを重視するようになった本田。
個人の活躍よりもチームの勝利を気にするようになった。
「他のオランダリーグでプレーする(若手)日本人選手とは立場が違う。」と。
でも、それは決して人間が丸くなったわけではないと。
「ビジネスでどれだけリスクをしょって生きてるか考えてください。」
本田はこう語った。
サッカーのプレースタイルは変わったけど、生き方は丸くなんてなってない。
口調は淡々としていたが、どこか怒りの表情のようにも見えた。
「丸くなってたまるか。」
そんな風に言いたいかのように見えた。
「丸くなった」ではなくて「成長」
これは、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないだろうか。
自分もサラリーマンで言えば中堅からベテランの立場になってきた。
だいぶ会社や社会、経済活動の全体像が分かってきた。
色んな仕事をしてきたし、それなりに結果も出してきた。
懐いてくれる後輩もたくさんできた。
こんな経験を得て、
スタイルが、「個人プレー」から「会社のため」「社会のため」に変わって行く。
そんなときが誰にでもあるのではないか。
それは決して丸くなったわけではなく、「成長」したということなのだろう。
自分の想いに忠実に真っ直ぐやってきた結果、スタイルが変わっただけ。
そういうことなのだ。
人が経験とともに成長するのは間違いない。
でも、「成長」を上手く使えていないのかもしれない。
「成長」に気付かずに、ずっと同じスタイルでやってしまう。
それは凄くもったいないことだ。
本田圭佑のインタビューを聞いてそんなことを思った。
今の自分は何ができるのか。
何をやるべきなのか。
どんな立ち位置で、何を期待されているのか。
そんなことを正しく把握することはとても大切なことなのだ。
変わってはイケナイ「芯」
そして、「成長」は「慣れ」になってはイケナイ。
変に経験に慣れてはイケナイ。
「それくらいで大丈夫。」
「そんなこと出来るわけない。」
こんな風に慣れて達観してはイケナイ。
「芯」は変わってはイケナイ。
人はずっとずっと成長し続けないとイケナイのだ。
今やっていることをもっと極めてもいいし、
別のことにチャレンジしてもいい。
本田圭佑は、サッカーとは別のビジネスに果敢にチャレンジしている。
だから、「丸くなった」に対して怒ったのだろう。
「チャレンジする」
という「芯」は何も変わっていないのだ。
自分の「芯」も同じだ。
ずっと何かにチャレンジし続けたい。
もっともっと熱くなりたい。
そして自由に生きて行きたい。
これからは自分の成長をしっかりと見極めて上手に使おう。
「オラオラ」とやりたいようにやることが「尖る」ことではない。
ブレない「芯」を持つことが「尖る」ってことだ。
自由とは束縛がないことを言うわけではない。
譲れないことを譲らないことが本当の自由だ。
もっと自分のケツを叩くのだ。
甘えちゃダメだ。
自分の中の「芯」を守り抜くのだ。