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情熱中年サラリーマンの自由と情熱のブログ!若者にメッセージを!大人には勇気を!!ベテランの生の人生を基に、人生の教科書的なブログを目指してます。人生に迷う方々!!ぜひ読んでみてください!何か「気づき」があるはずです。

中年サラリーマン後悔と決意とつぶやき

記録に残る人と、記憶に残る人。どちらを目指すべきか?てか、どっちになりたいのかって話。 

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表題の件、スポーツ選手なんかがよく言われますよね。


記録より記憶に残る選手だとかなんとか。


覚醒剤で残念なことになっちゃったけど、プロ野球清原和博選手は、記録より記憶に残る選手の代表格。

ホームラン王などのタイトルには恵まれなかったけど、ここ一番での勝負強さ、なんとも言えないカリスマ性は脳裏に焼き付いています。

(通算では歴代5位の525本ホームランを打っているから、記録も凄いけど)


イチロー選手は両方。

記録も凄まじいし、記憶にも残りまくりの選手。


反対に、記憶より記録の選手もたくさんいると思いますが、なんせ記憶より記録だから。

記憶になくて分かりません。

でも、例えワタシのようなサッカーファンに覚えられていなくても、記録を残したプロ野球選手は、もちろん凄い人ですよね。


存在感が薄くても、人の記憶に残っていなくても、

黙々と積み重ねられた記録を誰が批判できるというのか。

褒め称えられて当然です。

 

サラリーマンではどうなのか

この話、サラリーマンではどうなんだろう?ってことで、会社を辞めていった人を思い浮かべてみました。

 

  • とにかく仕事が凄かった
  • めちゃくちゃ頼りがいがあった
  • あの人には助けられた
  • もう一度会いたいなあ
  • 凄くいい人だった。
  • 面白い人だった。
  • ホントダメな上司だったわ
  • 人間性が最低だった


今まで色んな人と仕事をしてきたから、色んなことを思い出します。

また、思い出さないこともたくさんあるのでしょう。


記憶には残っていないけど、黙々と淡々と正確に丁寧に仕事をしていた先輩もたくさんいたはずです。

誰からも思い出されないけど、しっかり真面目に定年まで勤め上げた方々。


さっきと同じですよね。

記憶に残っていないけど、そんな先輩方を誰が否定できるというのか。


お疲れ様でした。よく頑張りました。ありがとうございました。

ですよね。


誰も否定なんてできません。いや、否定してはいけません。


でもさ、否定はしないけど、それはそれで凄いけど、やっぱり自分は嫌だなと。


そんなサラリーマン人生は嫌だなと。

そんな風に思うのであります。


辞めた後も話題に登場したいのです。

あの人は「ああだった、こうだった」と語られたいのです。


これは、「なに欲」なのだろう。

承認欲求とは違うし、出世欲、名誉欲なんてものでもない。


語り続けられたい欲、そんなものが自分にはあります。

出世では語られない

一つ確かなことがあります。

役職は、辞めた後、意味を持たなくなります。


「あの人は部長だったなあ。」とは誰も語りません。


やり遂げた仕事のことや、人間的な部分で語られることになります。

役職なんてついでの蛇足程度。

 

  • あの人は部長だったけど、全然ダメだった。
  • あの人は凄かったよね、出世も早かったし。

 

語られることのメインは、『ダメだった』『凄かった』ということで、そのついでに役職が語られるくらいのもので、大事なのは成し遂げた仕事と人間性です。

 

そこにインパクトがないと語られることはありません。


まさに一人の人間としての存在感が試されるのです。


自分はどうなのだろう。

辞めた後、後輩たちに語られる人間なのだろうか。


そんなことを思い浮かべながら、今日もいつもどおりに働いています。

 

いや、てか、あちーわ。まじで。40度近い気温はやべえわ。

ブログの世界では?

ブログの世界ではどうなのだろうか。


自分は今、ブログを3つとYoutubeチャンネルを一つ運営しています。


すべての始まりになったのはこのブログです。

なにもなかった自分に、色んな気づきとノウハウと武器を与えてくれたのはこのブログです。


いつか、「このブログがなければ今の自分はありませんでした。」なんてことを語りながら脱サラするのがワタシの目標です。


このブログを始める前は、完全な夢物語だったそんな目標にも一歩一歩近づいています。

そういう意味でも、このブログをやって本当に良かったと思っています。


でも、「記録」という意味においては、このブログはワタシのコンテンツ内で最低です。


当たり前といえば当たり前です。


何の戦略も計画もなく、ありのままの思いを書いていますから。

「多くの人に読んでほしい」という思いはもちろんありますが、「読んでもらうため」の方策を何もしていません。


大した記録が出なくて当然です。

(ちなみに他のコンテンツはやってます。)


でも、記憶に残るという意味では最強です。

ワタシの記憶からこのブログが消えることは一生ないでしょう。

というか、人生出来事ランキングでも上位に入るはずです。


もちろん、多くの人にとって、このブログなんて記憶にも記録にも残らないでしょう。

ワタシにとって大切な存在でも、多くの人にとってはそうじゃないのです。

これでいいのだ!

サラリーマンでも同じような気がしてきました。


退職後も語り続けられたいとは言いましたが、そんなことよりもっと大切なことは、「自分自身の記憶に残るのか。」ということではないでしょうか。


「俺はこんな仕事を成し遂げたんだ。」

「俺はこんな風に働いたんだ。」


って語れることがたくさんあればそれでいいのではないかと。


めんどくさいボケ老人になったっていいじゃないですか。


ついつい孫に何度も話してしまうような、「仕事の話」。

自慢話でいいんです。

そんな話をたくさん持てるような働き方ってよくないですか?


孫に話したくなる話ですから、カッコ悪いのはダメです。

 

  • 上司に言われて諦めた。
  • 出世のために言いたいことを我慢した。


こんなのは孫に語れません。

 

  • デカい仕事を成し遂げた。
  • 小さな仕事だったけど、あれは俺にしかできない。
  • 上司と喧嘩して飛ばされた。
  • 既得権益をぶっ壊した。


孫に語りたくなるのはこんな話ではないでしょうか。


ワタシの働き方もまだまだです。

将来、孫に語れる話が少なすぎます。


もっと上司と喧嘩しないと・・・

ではなくて、もっと熱く熱く。


熱く働こうと思います。

記録か、記憶か

ということで、記録か、記憶か。

そんなことはどうでもいいのです。


孫に語りたくなる話が多いかどうか。

もちろん、孫じゃなくてもいい。

妻でも夫でも、老人ホームの若い介護士でも、近所のクソガキでもいい。


誰かに自慢したくなる話をたくさん持てるかどうか。


「自慢」=「悪」が常識の日本ですが、ワタシはそんな働き方をしていきたいと思っています。


そんな働き方をして、たくさんの自慢話を持って、自分に納得して退職したら、

たぶん、そのときは、自慢なんてしない老人になっていることでしょう。


妙な話ですが、そんなもんだと思います。

たくさんの自慢話があるということは、たくさんチャレンジしてきたということで、そんな人は、何歳になっても自信満々に何かにチャンレンジし続けている人間になっているはずです。

 

自慢話なんかする暇のない時間を過ごしていることでしょう。


そして、そんな風に生き続けて、最後お空に召された後、みんなが自分のことを語っているはずです。


あいつはバカだったけど、おもしろいヤツだったと。

 

ワタシはそんな人間を目指しています。