人生の教科書 by 情熱中年サラリーマン

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中年サラリーマン後悔と決意とつぶやき

常識が非常識になるとき。

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洗濯機が発売されたとき、否定的な意見が多かったという事実をご存知でしょうか?


「機械で汚れが落ちるわけない。」

「洗濯板を使わない洗濯なんてありえない。」


こんな意見が多かったようだ。


今考えると「???」しかない批判だけど、当時は本気だったのだろう。

本気で「洗濯は洗濯板でするもの。」という常識に縛られていたのだろう。


常識は時代の流れとともに非常識になることがあるということだ。


「こうあるべき」「こうするべき」「それはおかしい」


世の中にはそうやって言われる「常識」がたくさんある。

でも、それは今だからそうなのであって、未来はどうなるか分からない。


特に今は変化が激しい時代だし、波に乗り遅れた人は溺れてしまう時代だ。


息をするように「常識」を疑う。

それくらいが丁度いいのかもしれない。

テレビが登場したとき

テレビが登場する前はラジオが主流だった。

人々はラジオで情報収取をし、ラジオを娯楽として楽しんでいた。


そこにテレビが登場した。


今考えると、「じゃあ、ラジオってオワコンじゃん。」となるのだけど、当時はそうではなかったらしい。


「ラジオはプロが喋っているから、テレビなんかには負けない。」

「ラジオにはラジオの良さがある。」リスナーは減らない。」


こんな風に「ラジオはテレビに負けない」という意見が多かったそうだ。


もちろん、「ラジオにはラジオの良さがある。」というのはそのとおりで、熱心なラジオファンは今でもいるけど、全体としてはテレビの圧勝。


結果として、人々の情報収取手段と娯楽の中心はラジオからテレビに移ったのだ。

そして、そのテレビも今はYouTubeやネット配信に押され出した。


こうやって時代は進んでいくのだろう。

昔は週休1日だった

昔は日曜日だけが休みだった。

土曜日の午前中は、仕事や学校があった。


自分も小学生、中学生のときは土曜日に学校があった。


でも、今は週休2日は当たり前。

今考えると、週休1日ってありえない


そして、さらに「働き方改革」が言われるようになった。


もしかしたら、週休3日になる日も近いのかもしれない。

てか、近かったら嬉しいw


というか、そもそも勤務の概念自体が変わるのかもな。


何日、何時間働くという概念から、「この仕事をいつまでにやる」という結果至上主義体制になるのかもしれない。


個人的には、仕事さえやってれば、あとは自由って感じになればいいなと思う。

常識を疑い続けること

もっと簡単なことでも、夏場にネクタイを外すサラリーマンはありえなかったし、昔は普通に使っていた言葉でも今では「差別だ」と大騒ぎされる言葉もたくさんある。


「看護婦」も「保母さん」も死語になった。

 

常識はどんどん変わっていく。


となると、当然、時代の最先端でいたいと思う。

昔からある「大事にしたいこと」は守りながらも、変えた方が良いこと、イラナイ常識はガンガン捨てていく。


そんな生き方をしたい。


そのためには、常に常識を疑って、「なにが必要なのか?」「どうすれば一番いいのか?」をいつも考える。

そして、躊躇せずにチャレンジして実行していく。


そんなことが大切になる。


ま、そんなことは多くの啓発本に書いてあることだけど。

 

難しいのは常識が変わるのはずっと先で、今は非常識だってこと。


例えば、「将来は絶対に週休3日になるから、うちの会社は先駆けて週休3日にする。」としたとする。


そうすると、単純に他の会社より生産性が1日分下がるということになる。

もちろん、それをテクノロジーでカバーしたりするのだろけど、それでも何かを先駆けるというのはリスクを伴うのだ。


ネクタイなんてイラナイ!

服装も髪型も自由でいい!


未来は絶対にそうなるだろう。

そんなことで人の価値を測る時代は終わろうとしている。


でも、今そうやって生きるのは難しい。

ほとんどの会社では一定のルールを守る必要がある。


常識から非常識に変わることっていうのは、基本的に長い年月をかけて変わっていく。

クールビズは国主導で一気に変わったけど、そもそも長い期間、「もう少し服装を自由にしよう。」「省エネ」「温暖化」という目に見えない人々の思いや環境が積もりに積もって起こった現象だ。


常識を疑うことは簡単だけど、だからと言って、一気に常識をぶち壊すことは難しくて、とても長い時間がかかるのだ。


だから、別に、「未来はこうなるから。」「そんなの古い。」ってマウントを取りたいわけではない。

答えは分からないし、自分が正しかったとしてもそれを証明するのは未来だから。


でも、それと同じように、「それは常識だよ。」「こうするべきだよ。」っていう「常識強要」もしたくない。


なにが変わるか分からないし、なにが変わらないかも分からない。


だから、自分の考えをしっかり持ちながらも、

自分は「分かってない人間」でいたいと思う。


「自分はこう思うけど、どうなるかは分からない。」

それでいいと思うんだ。


それって他人の考えや行動を認めることに繋がると思うから。


未来を語ってドヤ顔もしたくないし、

今の常識をドヤ顔で強要することもしない。


いつも言っていること、


人はそれぞれ。

色んな考え方があっていいし、

色んな人がいてもいい。


人に迷惑をかけない範囲において、すべてを認めるのだ。


そして、自分は自分の想いを大切にして生きて行こう。

自分が信じるものをグイグイ進めて行こう。


自分がやりたいことをガンガンやっていこう。


自分の意思を強く尊く持ち続けよう!