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情熱中年サラリーマンの自由と情熱のブログ!若者にメッセージを!大人には勇気を!!ベテランの生の人生を基に、人生の教科書的なブログを目指してます。人生に迷う方々!!ぜひ読んでみてください!何か「気づき」があるはずです。

中年サラリーマン後悔と決意とつぶやき

「評価は自分がするのではなくて、他人がすること」は、正論だと思ってたけど、実は違うんじゃないかと思ってきたって話。 

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就職したばかりの頃、先輩からこんなことを言われたことがある。


「評価は自分でするのではなくて、他人がすること。」


要するに、

「俺はこんなに頑張ったんだぜ!だから出世させろよ!」

というのは間違っているということだ。


自分で自分を過大評価することを戒めるための言葉で、イケイケの若者だった自分が調子に乗らないために、凄く良いことを教えてもらったと思っている。


また、この言葉は逆の場合でも良い効果を生む。


「自分なんて大したことないから・・・」

という自信のない人に対してだ。


「そんな自信を無くさなくていい。お前の頑張りは誰かが絶対に見てるから。」

こんなことを言って励ますための言葉でもある。


大きな組織では、これがまことしやかに語られる。


「大丈夫、絶対に誰かが見てる。」

「その頑張りはちゃんと見てる」

「いつかは絶対に報われる」


自分もなんとなく「そういうもんかなあ。」と思っていた。

 

というか、なんとなく「そうだったらいいな」と信じていた。

 


実体験もある。

褒められたり、尊敬されたり、出世したり。


自分なりに頑張ってきたこと、

自分としては完璧な結果を残したと思っていること、


そんなことは自分が評価しなくても、


「絶対に誰かが見ててくれる。」

「絶対に誰かが評価してくれる。」


そんな風に「なんとなく」思って頑張ってきた。


でも、これはもしかしたら間違っているのかもしれない。


というか、「絶対に誰かが・・・」ってさ、


エスパーかよ!」って話だよな。笑

 

普通に考えれば、他人が自分を絶対に分かるはずがないし、自分の頑張りすべてを分かってもらえるなんてありえない。


要するに、自分の解釈が間違っていた。


「評価は自分がするのではなくて、他人がすること。」


というのは、「絶対に誰かが・・・」という美談ではなくて、単純明快。


サラリーマンは、上司や人事部などの他人に評価され、自分で評価しても意味がないということ。


言葉としては正しいけど、キレイゴトにすることは間違っているということだ。


自分は、会社では偉そうに働く40歳。

そんな自分だけど、偉そうなくせに、なんだかキレイゴトを信じてきた。


「誰かが分かってくれる。」

「いつかは絶対に報われる。」


そんなことを純粋に心のどこかで信じてきた。


どこかに全てが分かるエスパーがいることを信じていたんだ。

 

自分も悩む後輩に言ったことがある。

「頑張っていれば絶対に大丈夫だ。」って。


でも、そうじゃない。

多分、どうやらエスパーはいない。

 

「自分の頑張りに関係なく、他人に評価される。」


サラリーマンとはそういうものなのだろう。

 

 

でもさ、じゃあさ、どうすればいいんだ?


自分で自分を評価すると凄い評価になるのに、

他人の評価はとてつもなく低い場合、


自分は頑張って成果を残したつもりなのに、

誰もそんな自分を分かってくれない場合、

 

分かってくれる人がいないとき、サラリーマンはどうすればいいんだ?

 


なあ、どうするよ?


居酒屋で愚痴るか?

家に帰って八つ当たりか?

バグれて適当に仕事を流すか?


なあ、どうするよ?

 

 

俺は思うんだ。


自己評価のなにが悪いんだと。


自分で「自分は凄い頑張った」と思って何が悪いんだ?

自分の結果を、成果を誇って何が悪いんだ?


悪いのは自分じゃない。

でも、かといって評価する方が悪いわけでもない。


頑張った自分、結果を残した自分、成果を挙げた自分を評価しない組織が悪いわけではない。

 

それはそれで当たり前のことだ。


多分、合わないんだ。

 

自分が頑張ったと思ったことは、組織にとってはどうでもいいことだったのかもしれない。

 

自分が残した結果は、組織にとって何の役にも立たない成果だったのかもしれない。

 

そういうことなのだろう。

だから分かってもらえないのだろう。

 

積極的に自己評価することはいい。

でも、「なんで分かってくれないんだ?」なんてことを考えても意味がない。


ベクトルや価値観が噛み合っていないのだから。

 

 

そういうときは、潔く去るしかないのかもしれない。


それが自分にとっても、会社にとっても幸せな道なのかもしれない。


お互い噛み合わないままに続けて行くことはしんどいから。

 


使いにくい社員 vs 何も分かってくれない組織。

 

そんな関係性のまま働き続けることは不幸でしかないのかもしれない。

 

特に何があったわけでもないし、

自分はそこそこ会社から評価もされてると思ってるんだけど、


なんだか最近そんなことを思うのである。

 

大切なのは、もし本気で噛み合わないと感じたときに会社を去ることができるのかってことだと思う。


「この会社にしがみつくしかない。」とならないことはサラリーマンにとって超重要だ。


自分と会社が噛み合うか、噛み合わないかは働いてみないと分からないから。

 

そんなことを考えながら、今日も明日も頑張って働くのだけれど。

なんだかんだ、まだまだサラリーマン人生は続くのだろうけれど。

 

それでも脱出の準備はしっかりとしておこうと思うのだ。


幸い今は自分の頑張り次第でどうとでもなる世の中だ。

個人でも稼げる方法はたくさんある。


なにかから逃げるわけではなくて、なにかと戦うわけでもない。


そして、なにかに縛られてはならない。