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情熱中年サラリーマンの自由と情熱のブログ!若者にメッセージを!大人には勇気を!!ベテランの生の人生を基に、人生の教科書的なブログを目指してます。人生に迷う方々!!ぜひ読んでみてください!何か「気づき」があるはずです。

中年サラリーマン後悔と決意とつぶやき

息子の低い「目標」が誇らしかったって話。

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当時小学5年生だった息子が、ある少年サッカー大会の前に語った目標が、「一回戦を勝ちたいです」でした。


それを聞いたコーチは、「他の皆は「優勝したい!」って言ってるぞ!お前だけそんな低い目標でいいのか?」と言いました。


このとき、ワタシは親として凄く誇らしかったのです。

 

今日は、低い目標を語った息子を誇らしく思った理由を説明しながら、ワタシが考える「主体的な生き方」について書いていきます。

「夢」の作文

さて、多くの人は、小学生のときに「夢」の作文を書いたと思います。

 

ワタシはアレが大嫌いです。

 

最近多いのは、プロ野球選手、サッカー選手、医者、弁護士、ケーキ屋さん、花屋さん、YouTuberなどですが、子供たちはどこまで本気なのでしょうか。


たぶん、ほとんどの子は本気で思っているわけじゃありません。というか、すべての子供たちに、本気でなりたい職業が見つかっているはずがありません。

 

「まだ分からない、見つかっていない」子供もたくさんいるはずです。


でも、「書かないといけないから、なんとなく良さそうな職業を選んで書く」しかありません。


そんな作文には意味がないと思うし、そんな作文が大嫌いです。


そもそも、職業を夢として書くのもいいが、そうじゃない子はいないのかと。


なりたい職業が見つかっていないのなら、ムリヤリ職業を選ぶのではなくて、どう生きて行きたいかを書けばいいのにと思う。

 

  • 金持ちになりたい!
  • 世界中を旅したい!
  • 空を飛びたい!
  • 遊んで暮らしたい!


職業じゃなくて、「生き様」を「夢」として書いてもいいと思うのです。

雰囲気と同調圧力

これは雰囲気と同調圧力から起こることです。


あの作文には、なんだか「職業」を選ばないとダメな雰囲気があって、子供たちは自然に、親や先生が褒めてくれそうな職業を「夢」として書いてしまっています。

サッカーをしてる子は、「サッカー選手が夢」と言わないといけない感じで。


子供たちは、知らず知らずのうちに、雰囲気に流され、忖度しながら「夢」を書いているのです。


「夢を持ってほしい」という大人の想いは、完全なる一方通行で、職業から夢を選ばせることは、逆に子どもの夢を狭めているように思えます。


ワタシもそうでした。後悔がたくさんあります。


詳しくはこちら↓

www.taka.work


こういうの、本当に嫌なんですわ。

子どもには、もっと自由にいてほしいのです。

 

小学生に、なりたい職業など書かせる意味はないでしょうと思うのです。

「1回戦に勝ちたい」が誇らしい理由

話を戻します。ある少年サッカーの大会前の話です。


予選リーグを圧勝で突破した息子のチーム。

宿舎としていたホテルで、夕食を食べていたときのことです。


一人ずつ明日からの決勝トーナメントの目標を言ってみろ!


コーチは、子どもたちにこんな指令を出しました。

 

そのときの雰囲気は今でもよく覚えています。

  • 予選を圧勝で突破し、絶好調のチーム。
  • 明らかに上を目指したがっているコーチのオーラ。
  • 応援に来てくれているお父さんやお母さん。

 


「ほら、優勝だろ?目標は優勝だろ?」

「言えよ、優勝って言えばいいんだよ。」


部屋中が「優勝臭」でまみれていました。


そして、その空気に流されるように繰り返される優勝の言葉。

 

  • 優勝したいです。
  • 全部勝ちたいです。
  • 勝戦で戦いたいです。


子どもたちから、こんな言葉がリピートされていきます。


コーチはご満悦の表情です。

 

そして、息子の順番がきました。

息子はチームのエースです。


予選リーグの得点も、ほとんどが息子のゴールでした。


そんな息子が語った目標が、

「まずは1回戦に勝ちたいです。」

 

 

おおおおおおおおおおおおおおお!!!


やりやがった!!!

息子よ、お前、やりやがったな!!


盛り上がるチームの雰囲気をぶち壊し、優勝に燃えるチームメイトのモチベーションを下げ、コーチのイラつきを誘う爆弾発言。


こヤツ、やりやがったぜよ!!!


戸惑うコーチと、ニヤッとするワタシ。


コーチはこう言いました。

「みんな優勝したいって言ってるけど、お前だけそんな低い目標でいいのか?」


息子はかぶせるように言いました。

「いや、最低でも一回は勝ちたいなと。それにそんなことよりゴール入れたい!」

 

折れない。

息子は折れない。

さらに、サラッとチームの勝ち負けより、自分のゴールの方が大切みたいに言ってやがる。

 

コーチは息子を誘導するように語ります。

「まあ、“まずは”1回戦ということだよな。そうだな、目の前の試合を頑張らないと優勝はないからな。」


コーチは落としどころを探っていたのだと思います。

「優勝したい」と語った他の子どもたちのテンションを下げたくなかったのでしょう。


息子から、「そう。まずはです。最終的には優勝したいです。」こんな言葉が出ることを願っていたのだと思います。


というか、息子がそうやって言えるように、パスを出したのです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

しかし!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・


それでも空気を読めない(読まない)息子。

「んー。まあ、できれば優勝っていうのはそうなんだけど、このチームで優勝するのは、ちょっと考えられない。それに、明日の1回戦の相手に一回も勝ったことがないのに、優勝って言ってもなって。」

 

 

ぬおおおおおおおお。

ぐおおおおおおおお。


く、空気を読めよーーーーー!

(と、部屋の空気が叫んでいるように感じたw)

 

 

コーチはそれ以上なにも言いませんでした。

その代わり、全員の発表が終わった後、「低い目標の子もいたけど、やっぱり高い目標を持つようにしてもらいたい。明日は優勝目指して頑張ろう!」


こんな風に話をまとめて解散となりました。


これが、息子の「大会前低い目標を言っちゃった事件」の一部始終です。

主体的に生きるということ

あのとき、ワタシは親として誇らしく感じました。

我が息子に対して、素直にリスペクトの気持ちが湧いたのです。「すげえな」と。


息子は解散になった後、ワタシのところへ来て文句を言っていました。


「おかしくない?優勝ってありえんやん?今までトーナメントで勝ち上がったこともないし、1回戦の相手には一回も勝ったことないがで。それにみんな大して練習もしてないのに優勝優勝って、ほんまありえんわ。」


ブツブツこんなことを言っていました。


息子のことを、「冷めた子供だなあ」と思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。


息子は、どんな試合でも負ければ絶対に悔し泣きするような、感情の起伏が激しい子供でした。

 

良くないことですが、試合に負けそうになると、強引なファールをして審判に怒られることも頻繁にありました。


自分の気持ちに凄く素直で、それを隠せるほど成熟してなくて、サッカーになると感情を抑えきれない。


そんな小学5年生でした。


でも、あのとき息子は、冷めているかのような目標を語りました。


「諦めたら試合終了」の安西先生に喧嘩を売るような目標を口にしました。

 

でも、ワタシはそれでいいと思いました。

てか、そうあるべきだと思ったのです。


というか、目標の中身なんてどうでもよかったのかもしれません。

 

  • 自分の気持ちを素直に言えているか。
  • 何かに流されてないか。
  • 誰に対しても自由に発言できるのか。


主体的な人間に成長しているか。


そんなことを考えました。


あのときの雰囲気は間違いなく「優勝」限定の空気。

「優勝」しか言ってはいけないかのような雰囲気。


そして、実際に「優勝」が連呼されていく事実。


息子はそのすべてを突破したのです。

自分以外のすべてを無視して、自分の心の中の「素直」を言葉にして話しました。


そんなことを感じて、それが凄く誇らしかったのです。


※もちろん、雰囲気じゃなくて本気で「優勝」って言った子もいると思います。

それはそれで素晴らしいですよね。

「夢」と「目標」は自分のもの

「夢」も「目標」も自分のものです。

他の誰でもありません。


これは当たり前のことだけど、実際はどうでしょうか。

 

大きな夢を語ると「そんなの無理だって」と言われ、小さな目標を言うと「もっと夢を持て」と言われる。

 

どこかの誰かの声に流されることはありませんか?


大人になればなるほど窮屈になっていくのが人間社会です。

「夢」や「目標」が青臭いと言われ、鼻で笑われ、バカにされる。


そんなもんです。


でも、本当は、もっと素直に純粋に自由に生きるべきなんじゃないかと。


別にいいじゃないか、1回戦で。


高い目標ってなんだ?

低い目標ってなんなんだ?

 

そういうことじゃない。

本当はそういうことじゃないだろ。

 

「夢」と「目標」は自分だけのものだ。

それとどう向き合うかは自分だけの問題だ。


どこかの誰かに流されてはならない。


どう生きていきたいか。

どんな人生を過ごしたいか。


もう一度、ちゃんと考えてみようと思う。


もっと「熱く」「自由に」生きていきたい。

それだけは、もう絶対に譲れないのです。


“まずは”「熱く」「自由に」生きるのだ。


それがワタシの1回戦!

 

 

 

ちなみに、あのときの大会。

残念ながら、息子のチームは一回戦で敗退しました。

 

試合後、本気で悔しがって泣いていたのは、息子だけでした。