人生の教科書 by 情熱中年サラリーマン

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中年サラリーマン後悔と決意とつぶやき

合理性と倫理観と安全とテクノロジー。監視と管理社会の議論をするべきじゃないのかって話。 

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こんにちは。

今日は、ちょっと攻めた記事を書こうと思う。


ちょっと怖いけど、いち意見として読んでいただけたら幸いだ。


山梨県のキャンプ場で行方不明になった少女。

消防、警察、自衛隊、ボランティアの方々が必死の捜索を続けているが
まだ見つかっていない。


警察は顔写真を公開した捜査に切り替えた。


写真を公開するということは、
何かの事件に巻き込まれた可能性が出てきたのか?


誘拐の可能性も探りつつ捜査をするのか?


詳細はまったく分からないけど、

とにかく早く無事に見つかってほしい。


全国民がそんな思いだろう。


この事件、

というか、誘拐や行方不明の案件すべてに言えることだけど、


本気になったら限りなくゼロにできると思うんだ。


テクノロジーを駆使すれば、誘拐事件は無くなるし、
子どもたちの安全性も向上する。


そう思うんだ。


だけど、


それで失うものもあるし、
倫理的にどうなのかって話もある。


でも、それでも俺は思うのだ。


議論を避けてはならない。


徹底的に議論すべきじゃないのかと。


テクノロジーと安全安心について書いていく。


GPSを埋め込む

例えば、生まれたときに体のどこかにGPSチップを埋め込む。

それをマイナンバーで登録する。


「誰が」「どこにいるのか」

常に捕捉されている状況にするのはどうだろう?


24時間365日、「誰が」「どこに」いるのか分かる状態にするのだ。


もちろん、管理は厳正にする必要がある。


日常は、絶対に誰にも見られないようなシステムを組まなければならない。

普段の「自由」と「プライバシー」が守られることは大前提だ。


でも、いざというときには

「居場所が分かる。」

そんなシステムはどうだろう?


間違いなく誘拐事件は激減する。


居場所の特定が抑止力になって

誘拐をする人は減るはずだ。


さらに、今回のような行方不明者を探せるようになる。

GPSがあればすぐに見つけられるだろう。


車にテクノロジー

以前、交通事故や煽り運転を減らすためにテクノロジーをって記事を書いた。

www.taka.work


・免許証と顔認証システムで無免許運転の防止
・      〃    とアルコール検知器で飲酒運転の防止
・速度違反や煽り運転は、自動的に警察に通報するシステムを構築。


例えば、

ピーピーピー

「速度オーバーです。速度を落としてください。」


「まだ速度が落ちていません。」

「速度を落とさない場合、警察に通報します。」


ピーピーピー

「通報しました。速やかに出頭してください。」


こんなシステムを車に装備する。

そうすれば交通違反は激減するだろう。


テクノロジーを使えば、安心と安全が向上するのは間違いないのだ。


「どこまで」使っていいのか?

だけど、テクノロジーはどこまで使っていいのかが問題である。


ただ夜遊びしている高校生の居場所をGPSで特定するのは違うと思うし、

自らの意思で失踪した大人を探すのも違う。


でも、山梨の事件のような状況では使ってもいいのではと思う。


ルールと管理が重要なのだ。


細かいルール設定は大変だろうし正しい答えは無い。


・何日間、行方不明なら使うのか?
・何歳以下なら使うのか?
・犯罪の容疑者の居場所の特定には使うのか?
(裁判で確定するまでは、あくまで容疑者(被告人)だけど、
逮捕状が出た時点で使うのか?)
・誰が使うことを決定するのか?
・普段の管理はどうするのか?
・権力者が悪用しないのか?

 

などなど、様々な課題があるだろう。


「どこまで」使うのかは本当に難しい問題だ。


人によって基準はまちまちで絶対的な正しい答えはない。

全員の意見が一致することもないだろう。


どんな基準にしても反発や批判は免れない。

とてもとても難しい問題だ。

一つだけ間違いないこと。

でも、一つだけ間違いないことがある。


議論はしなくてはならない。


・そんな管理社会は嫌だ
・人が機械に管理されるのは・・・
・絶対に悪用する人がいる
・そもそも倫理と道徳が大切だ


こんな思いは分かる。

俺もそう思うし、みんなそう思うだろう。


でも、やっぱり合理性も求めるべきだと思うんだ。


何の制限も無いとして考えると、

行方不明者の捜索はGPSがあった方がいい。


これは間違いない。


だから、最初から使うのを放棄するのはもったいない。


使うのか使わないのか、


もし使うのなら、

いつ、どこで、どんなときに使うのか、


議論をするべきだと思うんだ。


感情論で可能性を潰してはならない。

感情論で思考をロックしてはならない。


どんなに困難でも、どんなに批判する人がいようとも、

テクノロジーの使い方を議論するべきだと思う。


合理性と倫理観、

そして、安全と安心、


これから人間は、テクノロジーをどう使っていくかが重要となる。


行方不明者を見つける、

そんな直接的な結果を得るためにはテクノロジーがあった方がいい。


でも、テクノロジーを使うことによって失われるものもある。


そのバランスはどこがちょうどいいのか、

国民的な議論を始めるときだと思う。


それは使わないを前提にする議論ではなくて、

どうしたら安全に使えるかを前提とした議論でなくてはならない。