人生の教科書 by 情熱中年サラリーマン

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中年サラリーマン後悔と決意とつぶやき

24時間テレビの違和感。チャリティーなのにギャラ発生?マラソンに車?24時間テレビが決定的に勘違いしていることとは?

こんにちは。

昨日は、どうしようもない記事を書いてしまってすみませんでした。

 

あんな記事なのに、意外と見てもらえたようで、

恥ずかしいような、
嬉しいような、

複雑な心境の情熱中年サラリーマンです。

 

なにはともあれ、
読者の皆様の優しさに感動しておりまする。

 

今日は、夏の恒例、24時間テレビ。

感動のテレビ番組の代表格24時間テレビ。

 

チャリティーなのにギャラが発生してる。

 

などと、批判もされている24時間テレビ。

 

自分は、そんなことよりも、
24時間テレビには、もっと深い違和感を感じる。

 

ラソン

山登り?

海を横断?

 

そうじゃないだろ!!!

 

24時間マラソンは、
非科学的で非効率で危険な、
昭和的根性論を現代に残し続けているのではないか?

 24時間テレビの歴史

24時間テレビは、1978年に始まった。

今年で42回目だ。

www.ntv.co.jp

 メインイベントのマラソンは、1992年から。

ランナーは次のとおりだ。

24時間テレビ歴代マラソンランナー

1992年:153㎞ 間寛平(43歳)

1993年:200㎞ 間寛平(44歳)

1994年:100㎞ ダチョウ俱楽部(31歳・33歳)

1995年:600㎞ 間寛平(46歳)

1996年:100㎞ 赤井英和(37歳)

1997年:100㎞ 山口達也(25歳)

1998年:100㎞ 森田剛(19歳)

1999年:110㎞ にしきのあきら(50歳)

2000年:150㎞ トミーズ雅(40歳)

2001年:85㎞ 研ナオコ(48愛)

2002年:100㎞ 西村知美(31歳)

2003年:110㎞ 山田花子(28歳)

2004年:100㎞ 杉田かおる(39歳)

2005年:100㎞ 丸山和也(59歳)

2005年:100㎞ アンガールズ(30歳)

2007年:70㎞ 萩本欽一(66歳)

2008年:113㎞ エド・はるみ(?歳)

2009年:126㎞ イモトアヤコ(23歳)

2010年:85㎞ はるな愛(38歳)

2011年:63㎞ 徳光和夫(70歳)

2012年:120㎞ 佐々木健介北斗晶一家

2013年:88㎞ 大島美幸(33歳)

2014年:101㎞ 城島茂(43歳)

2015年:100㎞ DAIGO(37歳)

2016年:100㎞ 林家たい平(51歳)

2017年:90㎞ ブルゾンちえみ(27歳)

2018年:161㎞ みやぞん(33歳)

みやぞんは、水泳・自転車・マラソンの合計

 

色んな人が、色んな距離を走ってる。

年齢も、19歳から70歳までとバラバラだ。

24時間テレビに対する批判

24時間テレビは、感動と同時に批判を生む。

よくある批判を箇条書きにしてみる。

 

・チャリティーなのにギャラが発生

・マラソンに車を使っている疑惑

・感動を強制されているかのような違和感

・なんだか安っぽい

・とにかく嘘くさい

 

こんな批判が毎回巻き起こる。

 

でも、自分が考える24時間テレビ最大の違和感は他にある。

 

民主党政権時代に蓮舫議員が言った一言。

二番じゃいけないんですか?

 

これと似た違和感を感じるのだ。

24時間テレビ最大の違和感

先ほども説明したとおり、
メインイベントのマラソンは、

ランナーの年齢はバラバラだし、
走る距離もバラバラだ。

 

いったい誰が凄いんだ?

 

70歳で走った徳光さんか?
神戸から東京まで一週間で走った寛平さんか?

それとも女性ランナーか?

 

誰が凄かったんだ?

 

そういうことじゃない。

それぞれが凄かったんだ。

みんな、頑張ったんだ。

みんな全力で走ったんだ。

競い合ってるわけじゃない。

素直に感動しろよ!

 こんなことを言われるかもしれない。

 

でも、これは絶対に違う。

 

辛いことに耐える人。

それを見て感動する。

 

そんなバカな!!!!

 

昭和の時代。

部活では「水を飲むな!」と言われた。

「気合いがあれば喉は乾かない」と言われた。

 

また、今でも甲子園は似たようなことがある。

連日、猛暑の中、一人で投げ切るピッチャー。

それが素晴らしいと称賛される。

 

24時間マラソンは、

こういった非科学的で非効率で危険な、

昭和的根性論を現代に残し続けているのではないか?

 

そんな風に感じるのだ。

 

水を飲まずに練習したツライ経験。
肩を酷使して投げ続けるピッチャー。

とにかく100㎞走るランナー。

 

すべて「我慢」が感動を生んでいる。

凄いとか、勝ったとかではなく、
我慢することが感動を演出しているのだ。

結果で感動しよう

感動は我慢からではなく、
結果へ向かう努力と、結果を残すことから生まれるのだ。

 

 

結果を残すための経過で感動したい!

 

今の24時間マラソンは、

結果(タイムや距離)はどうでもいい。
とにかく経過で感動しよう。

走ったという事実のみが凄いんだ。
走る事実のみで感動する。

足が痛くても、暑くてもとにかく我慢。

そんな状況だ。

 

そうじゃなくて、

結果を残すための努力。
それで感動したいのだ。

 

子どもが運動会で100m走を走る。

その必死な表情は、親を感動させるだろう。
全力で走ってるってだけで感動を生むだろう。

 

でも、もう一歩先の感動がほしい。

 

何が何でも1等賞になるんだと!

1等賞になるために猛特訓。

 

その結果、見事1等賞を勝ち取る。

 

どうだ?

感動レベル的にはこっちが高いだろ?

テレビだから出来ること

そして、テレビだからこそ、それが出来るはずだ。

 

色んなプロが集まる24時間テレビ。

一般人には出来ないプロの技で感動したいんだ。

 

お笑い芸人は、マラソンを走るよりも、
人を笑わせることで、感動させるべきじゃないのか?

24時間で何人笑わせられるのか?

そんなふざけた企画でこそ最高の感動が生まれるのではないか。

 

歌手が100曲熱唱するだとか、

スポーツ選手が凄い技をするだとか、

デザイナーのデザイン、
クリエイターの作品、

 

それぞれの分野で凄いことを成し遂げる。

そんなことをやってほしい。

 

ラソンなら、マラソンランナーが走った方が絶対にいい。

 

100キロを何時間で走れるのか?

24時間でどこまで行けるのか?

 

プロのランナーが、過去のランナーと競う。

プロのランナーが、ギリギリのラインを目標とする。

 

普段、最強のプロたちが、
より高い難しい目標に向かってがむしゃらに頑張る。

 

テレビでしか出来ないことはそれじゃないのか?

 

せっかく各界のプロを使えるのに、

なぜ、わざわざ本職以外で安っぽい感動を演出するんだ?

 

本当の感動は、一流が一流の技を見せるときに生まれる。

そんな風に思うのだ。

 

そして、それこそが夢を生むんじゃないのか?

子どもたちに夢を与えるんじゃないのか?

 

お笑い芸人のマラソンを見て、子どもたちは夢を持つのか?

 

我慢は大事だ。

根性だ。

気合いだ。

 

こんな感情しか与えないんじゃないのか?

 

愛は地球を救う?

それはその通りだと思う。

 

そして、愛を生むのは子どもたちの夢だ。

 

子どもたちに夢を与えるのは、

プロが、プロとして凄いことを成し遂げることだ。

プロが、普段直面しないピンチを克服し、
がむしゃらに何かを成し遂げる姿だ。

 

人間、やりたいことをやるべきだ。

好きなことで生きていくんだ。

本当にやりたいこと、
本当に好きなこと、

そんなことを見つけなければならない。

 

そして、自分が何が得意なのかをを分からなければならない。

 

24時間テレビは、
そんな人生の本質から目を背け、

我慢することで感動を呼ぶ、そんな卑怯な番組にしか見えない。

 

大袈裟に言い過ぎかもしれないが、

日本に、昭和的根性論を残し続ける原因の一つではないかと思う。