これまで、年金や終身雇用制度などについて色々と書いてきた。
今日は、それらを考えるときに基になる人口について書いていく。
客観的な数字を示しながら、
日本の未来はどうなるのか?
超高齢社会の現実はどんなものなのか?
というか、日本に未来はあるのか?
人口の推移と一緒に歴史も振り返りながら考えてみる。
※なお、数値の根拠はすべて総務省統計局の人口推計です。↓
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/index2.html#suikei
- 1920年(大正9年)の日本の人口と歴史
- 1930年(昭和5年)の日本の人口
- 1940年(昭和15年)の日本の人口と歴史
- 1945年(昭和20年)の日本の人口と歴史
- 1948年(昭和23年)の日本の人口と歴史
- 1973年(昭和48年)の日本の人口と歴史
- 1986年(昭和61年)の日本の人口と歴史
- 大正から昭和、そして平成へ
1920年(大正9年)の日本の人口と歴史
総人口は約5600万人。
今の半分ほどの人口だ。
1914年:第一次世界大戦(~1918年)
1920年:国際連盟発足
1922年:ソビエト連邦成立
1923年:関東大震災
大正時代は、政党政治が進出するなど、デモクラシー運動が起こった時代だ。
明治で近代化を図り、大正で民主化を目指した日本。
近代都市が発達し、都市文化や大衆文化が花開いた時代だ。
1920年の人口構成は、キレイなピラミッド型。
子どもが多く、高齢者が少なく、労働者も多い。
安定した人口構成だ。
この安定した人口構成を背景に、世界に追い付け追い越せと、活気ある時代だったことだろう。
大人と同じくらい子どもがいるって、素晴らしい。
1930年(昭和5年)の日本の人口
総人口は、約6500万人
10年間で900万人も増加している。
人口構成に大きな変化はなく、引き続き、多くの子どもが生まれた時代だ。
ただ、世界恐慌からくる不景気。
欧米との対立が深まった時代でもあり、この後、日本は不幸な戦争へと突入することになる。
1940年(昭和15年)の日本の人口と歴史
泥沼の戦争に突入した日本。
総人口は、約7200万人。
10年間で700万人増加。
1931年:満州事変
1937年:日中戦争(~1945年)
1939年:第二次世界大戦(~1945年)
1941年:太平洋戦争(~1945年)
激しい戦争の時代。
人口構成は、変わらず子だくさんだ。
戦争の中でも多くの子どもが生まれていたことが分かる。
1945年(昭和20年)の日本の人口と歴史
終戦を迎えた1945年。
総人口は、約7200万人。
人口は、5年前とほぼ横ばいだ。
1945年:東京大空襲・広島、長崎に原爆投下
1945年:ポツダム宣言受諾
1946年:日本国憲法公布
1947年:教育基本法、労働基準法制定
総人口は、5年前とほぼ横ばい。
その理由は、戦争だ。
多くの戦死者が出たから、人口が増えていないのだ
年齢別で見ると分かりやすい。
5年前と比べて、
0から14歳は、約10万人の増加。
15歳から64歳は、27万5千人の減少
65歳以上が、24万人の増加。
5年前の人口構成から考えれば、増えるはずだった生産年齢人口が減少しているのだ。
1948年(昭和23年)の日本の人口と歴史
総人口は、約8000万人。
たった3年で800万人増加した。
1948年は、第一次ベビーブームのピークの年。
所謂、団塊の世代と呼ばれる世代が生まれた頃だ。
戦争が終わって、復興から高度経済成長期に向かう日本。
経済の発展と併せて、オリンピックや万博も開催した。
1950年:朝鮮戦争
1958年:東京タワー完成
1960年:カラーテレビ放送開始
1964年:東京オリンピック開催
1968年:東名高速道路開業
1970年:大阪万博開催
生産年齢人口6人で、高齢者0.5人を支える構造。
当然、社会保障経費は少額しかかからない。
この後の高度経済成長は、この人口構成があったからこそだったことは、間違いないだろう。
1973年(昭和48年)の日本の人口と歴史
総人口は、約1億1千万人。
1億人を超えたのは1967年だ。
この頃は、第二次ベビーブームと言われている。
「段階ジュニア」が生まれた頃だ。
ちなみに俺は1979年生まれ。
ただし、この第二次ベビーブームは、
「出生率」が高かったわけではない。
生まれた子どもの数が多かっただけだ。
1975年には、出生率は2.0を割り込むこととなる。
夫婦二人で二人未満の子どもしか生まれない。
そんな時代の始まりだ。
要するに、第一次ベビーブームの頃に生まれた人が、子どもを作る世代になっただけ。
ベビーブームと言ってるけど、ここが少子高齢化に向かう始まりだったのかもしれない。
1973年:第一次オイルショック
1976年:ロッキード事件
1978年:成田空港開港
1979年:情熱中年サラリーマン誕生
1983年:東京ディズニーランド開園
1983年:ファミコン発売
ディズニーランド開園や、ファミコン発売など、「日本遊び元年」と呼ばれている。
(嘘です、今名付けました笑)
数としては多くの子どもが生まれたが、徐々に人口構造が変わっていることが分かる。
1986年(昭和61年)の日本の人口と歴史
総人口は、約1億2千万人。
日本は50~60年という短い期間で、人口がほぼ2倍となった。
ちなみに、江戸時代は2600万人程度であり、日本は近代化と同時に、爆発的に人口が増えたのだ!
昭和61年12月から平成3年2月までの51か月間がバブル景気と呼ばれている。
土地や株の価格が高騰し、空前の好景気の湧く日本。
昭和から平成に移る頃が、日本史上、最も裕福な時代だ。
当然、仕事はありまくり。
会社が人材を欲しがりまくった時代。
就職試験を受けると、「お車代に1万円がもらえる。」というのが当たり前。
試験を受けるだけで金がもらえたのだ。
夜の街は、栄華を極めていた。
タクシーは取り合い。
「おつりは要りません。」の、
アピール合戦が行われ、1万円を持って手を上げるのが普通だった。
山手線の内側の土地価格で、アメリカ全土が買えるとか言われてたんだぜ?
世界の企業時価総額ランキングも日本の企業ばっかりだった。
日本史上、最も裕福な時代だ。
しかし、バブルは崩壊。
日本は長い不況の時代に入る。
失われた10年とも20年とも言われる。
1986年(昭和61年):チェルノブイリ原発事故
1988年(昭和63年):リクルート事件
1988年(昭和63年):瀬戸大橋開通(高知県民にとっては重大)
1989年(昭和64年):昭和天皇崩御。平成に改元
働き盛りの35~39歳人口が飛びぬけて多い。
この世代が、日本の経済を支えていたのだろう。
そして、好景気の陰で、高齢者人口が10%を超えたのだ!!
大正から昭和、そして平成へ
ということで、今日はここまで。
大正から昭和初期までは、とにかく子どもが増えた時代だった。
また、戦後はベビーブームとなり、日本経済の基礎を支える「団塊の世代」が生まれた。
そして、団塊の世代が労働力となる年齢となると、日本は空前の経済成長を遂げることとなる。
安定成長から、夢のようなバブル期まで、完全に日本は豊かな経済大国だった。
しかし、経済成長の陰で、出生率は減り続け、徐々に高齢化への足音が聞こえていた。
知らず知らずのうちに、時限爆弾がセットされていたのだ。
次回、平成から令和、そして未来の推計まで。
50年後、100年後の日本はいったいどうなってしまうのかーーーー!?
(テレビ風w)